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2017.4

第73回(1/3)

【著者:行 達也】

田中三一

田中三一さん

マスタリングエンジニア
田中三一さん

1942年生まれ。
1980年代よりソニーミュージック・エンタテインメントにてレベッカ、JUDY&MARY、佐野元春、Boom Boom Satellitesなど数多くの作品のマスタリングを担当してきたエンジニア。 2003年にバーニー・グランドマン・マスタリングに参加以降もクラシックからユニコーン、DJKrushまで幅広いジャンルの作品を手掛け、現在はスタジオATLIOにて活躍中。確かな手腕が高い評価を受けている。

日本の音楽業界においてレジェンドと言えるエンジニアが何人かいらっしゃいますが今回、お話を伺った田中三一氏はマスタリングにおけるそんな神のような存在で、業界で名前を知らない人はいないっていうぐらいの職人です。僕はあるきっかけで昨年、仕事をご一緒させていただいたのですが、丁寧な仕事ぶりと優しいお人柄に惹かれて、その後もずっと何かにつけ、お仕事をお願いしている状況です。

田中さんはちょっとした空き時間に過去の面白い話をたくさんしてくれます。つい先々月もマスタリング作業でお世話になったのですが、すっかり作業は終わったにもかかわらず、ついつい70年代の歌謡曲のことをお聞きしていると面白くて、気が付いたら3時間経過していたということがありました。せっかくなので、これまでの約50年に渡るエンジニア人生のあれこれのお話をみなさんにも共有してもらいたく、インタビューの時間をいただきました。

「僕が会社に入ったのが1969年なんだけど、当時はフリーのエンジニアなんてまだいませんでした。みんな会社に帰属していたので。ただ、会社にいながら他社のレコーディングを手伝ったりする人はいました。僕もやってましたけど。そうなっていった背景に、当時は…っていうか今でも基本的にはそうですが、レコーディングなどの作業はディレクターが仕切って物事を決めていきますよね。それがだんだんアーティストや作家が発言権を持てるようになってきた。もしくは事務所が原盤を持ったりして、仕組みそのものが変容してくると、会社やスタジオではなく『この人に録って欲しい』っていう考え方になってきたことが大きいと思います。『○○っていうアーティストは△△っていうエンジニアじゃないと』っていう発想ですよね。アメリカナイズされてきた。」

―じゃあ、いつぐらいからフリーの人が出てくるようになるんですか?

「70年代の中盤あたりだと思います。そして、そういうフリーの人が集まって一つの形になったのがミキサーズラボっていう会社なんです。ただ、僕はソニーの社員だったから表立って他社のレコーディングを受けるということは出来ませんでした。」

―田中さんご自身は周りがそうやって独立してフリーになっていくのを見ながら『オレもなろう!』とか思わなかったんですか?

「そういうことはまったく考えなかったですね。もちろんフリーでやることでいろんな会社の仕事を受けられるっていうメリットもあるんですが、ソニーミュージックの社員としてエンジニアを続けたかったんです。」

―その頃の田中さんといえば、吉田拓郎さんや山口百恵さんのエンジニアもやってらして、それなりの実績もあったワケだから独立すること自体は弊害がなかったように感じますが?

「もしかしたらやれたかもしれません。実際、給料よりも対価はよかったでしょうし。みんな、だからフリーになっていったワケだし。でも僕自身は金銭面的な待遇に関していうと、そこまでの欲はなかったんです。どっちかというと会社が持っているインフラそのものが魅力だったので、フリーになるとそういうインフラはまったく使えなくなるワケですからね。まあ、まったく自由とは言わないですけど、基本的に空いていたらスタジオは使えるんですよ。例えば時間外で社員の人に楽器を演奏してもらってそれを録音する練習にしたりとか。そういう研究ができるんです。あと、ソニーといえば当然ハードもやってますので、そこの研究所に行かせてもらってメカニズムを学んだり、社員ならではの待遇というかメリットというのがたくさんありました。」

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