アリオン 浜山通り店
- 総評&授賞理由
- 全体として大変多くのお店さんに、この100周年記念イベントにご参加頂き感謝申し上げます。その中でも最優秀賞に選ばれたアリオンさんは、手作り感あふれるPOPをふんだんに使った展開が目を引いたのと同時に、年代別、ジャンル別にきめ細かく分けて展開した取り組みがとても素晴らしかったです。ショップの皆さん、ありがとうございました。
表彰
最優秀賞1店
- BDプレイヤー1台+レンタル用BDソフト10枚+100周年記念販促キット
- *指定49作から希望タイトルを選択。指定タイトルはこちら。
- *プレゼントタイトルは在庫の都合上、対応できない場合もあります。
- *BDプレイヤーにはメーカー保証はございません。
ユニバーサル映画100年
2012年、ユニバーサル映画は創立100周年を迎えます。
この100年間でテクノロジーは大きく変革しましたが、物語そのものを大切にした映画作りの思いは変わりません。
“映画を通じて世界の人々とつながる…”
ユニバーサル映画はこれまでの感謝とともに、これからもこのメッセージを具現化していくことでしょう。
ユニバーサル映画100年
ドイツ系移民のカール・レムリーは1900年代初頭に映画配給や制作ビジネスを手掛けると、中小の映画会社を合併して1912年4月30日にニューヨークでユニバーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー (the Universal Film Manufacturing Company) を設立しました。
“ユニバーサル”の名前はこの時初めて登場しますが、彼はこの名前を通り過ぎるワゴン車の看板を見て思いついたそうです。また設立後まもなく採用されたロゴは地球の周囲の輪に社名を表示しており、現在まで使われる“ユニバーサル・ロゴ”の原型が既に出来上がっていました。
1915年にはハリウッドの新たな映画の中心として、ユニバーサル・シティをオープンさせ、1人25セントで誰でもスタジオの見学をすることができました。これは、現在のスタジオ・パーク事業に引き継がれています。
時代はサイレントからトーキーに移り、『西部戦線異状なし』でアカデミー賞®を受賞しますが、当時スタジオの主流を占めたのは娯楽性を重視した低予算映画でした。
その中から“ユニバーサル・ホラー”と呼ばれる、一連のモンスター映画が成功を収めました。“ドラキュラ”“フランケンシュタイン”“ミイラ男”などのイメージは、ジャック・ピアースによる優れた特殊メイクもあって、今でも様々なリメイクに影響を与え続けています。
その後は、アメリカ映画産業自体の斜陽化もあり、経営は厳しくなりました。合併や買収も繰り返されましたが、“スパルタカス”や“アラバマ物語”といった良質な作品でアカデミー賞®を受賞し、制作の理念を保ち続けました。60年代後半はTV番組制作にも力を入れ、後に現在まで続く、アメリカ3大ネットワークであるNBCとの合併へと繋がります。“サイコ”やヒッチコックの全TV作品の権利を獲得したのもこの頃です。
1970年代、ユニバーサルは大きな転機を迎えました。
“スティング”で作品賞を含む7部門でアカデミー賞®を受賞すると、ジョージ・ルーカス“アメリカン・グラフィティ”、スティーブン・スピルバーグ“ジョーズ”といった若い才能を開花させます。特にスピルバーグは“E.T.”“ジュラシック・パーク”と大作をヒットさせ、“バック・トゥ・ザ・フューチャー”シリーズなどプロデュース作品も含めて、ユニバーサル映画のブロックバスター作品の中心的存在でした。一方で、“ディア・ハンター”、“黄昏”、“愛と哀しみの果て”といった感動的な作品でアカデミー賞®を受賞するなど、評価を受け、ユニバーサル映画のブランドはファンから高い支持を得ました。
1990年代以降も、ユニバーサル映画の経営権は変遷を続けますが、ビデオグラムによるホームエンターテイメントが普及する中、様々な制作会社と共同出資や業務提携をすることで豊富なライブラリーを確保しています。 “グラディエーター”“キングコング”といったヒット作品をリリースして、存在感を高めました。また、“ハムナプトラ”“ウルフマン”といったモンスター映画のリメイクも、ユニバーサル・ホラーの伝統と現代の技術を見事に融合させていると言えるでしょう。
HISTORY of UNIVERSAL PICTURES
- 1910年代
- 映画の都ハリウッド誕生
- ハリウッドで本格的な撮影スタジオ建設が進み、ユニバーサルも撮影所の建設に乗り出す。1915年にスタジオ完成。本格的な映画製作がスタート。
- 1920年代
- トーキー革命
- 25年「オペラの怪人」公開。この映画のセットは、今もユニバーサルスタジオに残る、世界最古の現役映画セットである。この後、ハリウッドは技術革新によりトーキー時代へ。 「オペラの怪人」
- 1930年代
- ハリウッド黄金時代の幕開け
- 大恐慌を乗り越え、メジャー・スタジオが快進撃。ユニバーサルも2大モンスター映画を大ヒットさせると共に、反戦映画など優れたドラマを産み出す。
- 「西部戦線異状なし」「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」「オーケストラの少女」
- 1940年代
- 戦争とハリウッド
- 第2次大戦にも影響を受けずハリウッドは大いに栄える。ユニバーサルもアルフレッド・ヒッチコックなど外国からの優秀な才能を招き、バラエティにあふれる時代となる。
- 「逃走迷路」「疑惑の影」
- 1950年代
- 技術革新の時代
- 家庭に普及したTVに対抗すべく、ワイドスクリーン化の時代へ。スターの顔ぶれも一新され、ジェームス・スチュワートやチャールトン・ヘストンといった長身の俳優が人気を博す。
- 「グレン・ミラー物語」「黒い罠」「ハーヴェイ」「ウィンチェスター銃‘73」
- 1960年代
- 大作時代
- 文化・社会環境が大きく揺らいだ時代だが、ハリウッドは強力な映画産業の中心として、大作・話題作を世界に提供。ユニバーサルも大型で印象強い作品を次々と発表。
- 「スパルタカス」「アラバマ物語」「鳥」「シャレード」「レーサー」「引き裂かれたカーテン」「トパーズ」
- 1970年代
- ハリウッド復興
- 特撮技術の進化がSFやアドベンチャー映画を充実させる。ユニバーサルは、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグといった若い才能を積極的に登用し、映画界に新風を起こす。
- 「大空港」「フレンジー」「スティング」「ジャッカルの日」「アメリカン・グラフィティ」「大地震」「ジョーズ」
- 1980年代
- ニューメディアの時代
- ビデオの普及が映画産業に変革を迫る。TV番組のスターのキャスティングや、他企業とのタイアップといった新しいマーケティング戦略で、若者層をターゲットにした映画を続々製作。
- 「歌え!ロレッタ 愛のために」「ブルース・ブラザース」「黄昏」「E.T.」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「フィールド・オブ・ドリームス」「7月4日に生まれて」
- 1990年代
- デジタル技術の革新
- 急速に発展したデジタル技術によってSFX映画が主流に。過去・未来・異世界・宇宙・・・あらゆるところを舞台としたリアルな映画製作が可能となる。
- 「シンドラーのリスト」「ジュラシック・パーク」「ウォーターワールド」「アポロ13」「ハムナプトラ」
- 2000年代
- エンターテイメント×重厚ドラマの融合
- 総CG映画時代の中、9.11の影響もあり、単にビジュアルの豪華さを競うだけでなくドラマの質も重視したハイクオリティ作品を、ユニバーサルは続々発表。
- 「グラディエーター」「ボーン・アイデンティティー」「ワイルド・スピード」「ユナイテッド93」「キング・コング」
- 2010年代
- そして、次の100年へ
- CGや3Dといったテクノロジーの進化、よりリアリティを究める撮影・演出、そして高質のドラマ。世界の映画をリードするメジャースタジオとして、ユニバーサルは今後も新たな映画製作にチャレンジ。
- 「恋するベーカリー」「グリーン・ゾーン」「怪盗グルーの月泥棒」「ロビン・フッド」「ワイルド・スピードMEGA MAX」
ユニバーサル映画トリビア
- ・スピルバーグが“ジョーズ”で使用したホオジロザメの模型には“ブルース”と名付けられていた
- ・“サイコ”の有名なシャワールームのシーン、ナイフを突き刺す音は、メロンをナイフで突く音を録音して使用した。
- ・ユニバーサル映画で最も高価な映画は“キングコング”で制作費は2億7百万ドル。
- ・1919年から1929年のサイレント映画時代、ユニバーサルは9,000本もの“娯楽映画”を制作、上映した。
- ・ユニバーサルは1954年に“アマゾンの半魚人”で、3D映画に初めて参入した(もちろん当時の方式)。
- ・スタジオテーマパークは、オープン当初は撮影までも見学することができたが、ほどなく中止された。その理由はサイレントからトーキーに移り、“静かな撮影セット”が必要となったからである。
- ・ユニバーサルで最も長いTV映画シリーズは“ヒッチコック劇場”で、全エピソード数は361本。
- ・ユニバーサル映画はアカデミー賞®において690のノミネートを受け、149の賞を獲得している。