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2019.4

第83回(1/2)

【著者:行 達也】

平岡 恵

平岡 恵さん

平岡 恵さん

1960 年東京で生まれ金沢で育つ。青山学院大学卒業後、北陸放送(MRO)に入社。 その後 TBS954 キャスタードライバー(ラジオレポーター)を経て フリーとなり、文化放送でレギュラーパーソナリティを務めるほか、 テレビ朝日、テレビ神奈川等でレポーターを担当。 1991年より現在の音楽事務所インターセプトに勤務。音楽文化振興のためのイベント等の開催に努めているほか、自然環境や食の安全について興味を抱き、2008 年 NPO 法人エコロジカルアーツ協会(東京都認証)を設立。環境美化活動と共にその際に集めた貝殻・ビーチグラスなどを使って自然と親しみ自然を楽しむ作品作りを行っている。

ラジオDJからマネジメント会社へ転身、90年代後半に一世を風靡したダンス☆マンの現場に立ち会う一方で、趣味でやっていたコピーバンドの集まりを一大イベントまでに発展させた有限会社インターセプト平岡恵さんのインタビューの続編です。

前回のインタビューでは、ダンス☆マンを売るためにタイアップ全盛の時代にそういう手法ではなく、地道なプロモーションによって結果が出せたことに大きな可能性を見出した、というお話まで伺いました。

「当時、ダンス☆マンを売るためのキャッチコピーなんかも普通じゃ目立たないからということで、スタッフのみなさんが一生懸命考えてくださって、出てきたのが『水面下で密かに話題のダンス☆マン!』で、『水面下』でしかも『密か』なんですよ(笑)。それって一つも話題になってないってことじゃないですか(笑)。でも、なんとなく響きがいいというかコミカルな意味合い含めて秀逸だなと。」

―そのあたりの意見の擦り合わせはレーベルと事務所間でよくやられてたということですかね?

「そうですね、プロモーションのミーティングはよくやってましたし、担当の方とは密に連絡を取ってました。」

―なるほど、僕は今、インディーズのレーベルをやっているのですが、まだマネジメントも付いていないアーティストも多くて、その場合、アーティスト本人とのやり取りになるので、なかなか現状がわからないのですが、メジャーだとその関係性というのは昔から変わらずなのでしょうか?

「関係性というのは変わりないと思うのですが、制作も宣伝も人が減ってますよね。なので、昔だったらレコード会社にプロデューサー、ディレクター、アーティスト担当っていう人たちがいて、レコーディングの現場もレーベルのディレクターがディレクションするのが当たり前でしたけど、最近だと完パケまですべて事務所サイドで作って、レコード会社の役割っていうのが完パケ以降っていうパターンが増えているかもしれません。宣伝に関しても同様ですね、昔だったらプロモーターが局にへばりついて、ディレクターの空き時間に捕まえて、っていうのが今は減ってるんじゃないでしょうか?」

―それは役割分担として、かつてはレコード会社が請け負ってた事柄が徐々にマネジメントに移動しているということですかね?

「そうですね、そうせざるを得ないというか。普通に我々も宣伝で動いてますからね。もちろんアーティストのバリューに依るところはあるので、例えば売れ線のビッグアイテムとかだとレコード会社が請け負ってくれるところもそれなりに大きいですが、我々レベルだと、やっぱり自分たちで動かないとどうにもならないですよね。」

―なるほど、10年経つとずいぶん状況が変わってきてますよね。

「はい、業界の規模がだんだん小さくなっていく感じがとてもしてます。ただ、あることがきっかけでアマチュアバンドを始めたんですけど、始めてから驚いたことがあって、アマチュアバンドの世界ってものすごく熱いんですね。やる側が。音楽って仕事として見たときに廃れていく感じがしたんですけど、音楽を楽しんでる側はずっと熱いんですよ!自分の場合、仕事として音楽と付き合っている以上、音楽とは『売れる、売れない』の世界でしかなかったんです。」

―アマチュアバンドを始めるきっかけってなんだったんですか?

「中原めいこさんのコピーバンドなんですけど、とにかく彼女の書く曲が大好きで、1982年のデビュー当時からずっとファンなんです。聴かない日はないぐらい(笑)。ある日、どうしても生で彼女の歌を聴きたくなったんです。でも、めいこさんって1992年のアルバムを最後にご自身の作品を発表してなくて、特に引退宣言をされるわけでもなくフェイドアウトしていったんです。それでもどうしても彼女の生歌が聴きたくて、いろいろと調べたんですが、消息がまったくわからなくて、もしかしたら海外に行かれたのかなと。もはや本人歌唱でなくてもいいから、とにかく生演奏で聴きたいという衝動が抑えられず、かといって、なかなか中原めいこのコピーバンドなんてそうそうあるワケではないので、じゃあもう自分で始めちゃえ!ってことでコピーバンドを始めたんです。そして、いざコピーバンドを始めると横のつながりで、他にもいろんなアーティストのコピーバンドが結構たくさんあることを知ったんですね。普段の仕事では、オリジナル曲のバンドと巡り合うことは多々ありますが、コピーバンドと交わることがほぼなかったので、ものすごく新鮮でした。もう、楽しくてしょうがなくて、コピーバンドの輪が拡がっていったんです。そういう人たちにとって、音楽は消費するものでなくて、発売から何十年経とうが愛聴して、そして演奏して、大事にして、人生の一部分になってるんですね。そういうのを目の当たりにして、新しい世界が開けた気がしたんですよ。」

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