2019.5
【著者:行 達也】
「徒然なるままに」(2/2)
今、改めて1983~1985年あたりのビルボードの年間チャートに入ってるアルバムを見てみるとほとんど聴いてるんですよね。当時いかに洋楽がポピュラーで、いかに自分がレンタルで借りまくってたかって話です。あと、当時はリスニング環境に至るまでのプロセスがたくさんあったっていうことも、音へのこだわりに向かわせる要因ではあったのかなと思います。だって、レコードを借りてきてアナログプレーヤー→アンプ→カセットデッキ(あとテープのこだわり)→再生用のウォークマン→ヘッドホンと絡んでくる要素が6つもあったんですよ。今だと例えばストリーミングで最初っからスマホに入ってる(という言い方は正しくはないけど)音源をどのスピーカーやヘッドホンに繋ぐか?っていう一点だけですからね。ラクといえばラクですが、音へのこだわりが強くなった時の沼の深さが違うというか...そう「いい音で聴きたい!」っていうこだわりが無くなってしまったんですよね、便利になったことで。
と、まあそうやって高校時代はレンタルレコードでお世話になり、大学に進学すると今度はCD時代に突入です。学校が神戸だったので、その近辺に下宿して、三宮のオヤユビピアノというレンタルCD屋に通ってました。もうココで自分の音楽人格が形成されたと言っても過言でないほど借りまくりました。当時の一般的なCDレンタルショップはもう本当にヒットチャートものしか扱ってなくて、しかもCDに移行して間もない頃だったので、旧譜がまだそんなにCD化されてなくて(初CD化ブームは90年代ですもんね)なんというか味気ない感じだったのですが、このオヤユビピアノという店が、海外のインディーズ盤とか海賊盤とかワケわかんないのまですごい在庫していて、おまけにレンタルショップなのに熱いリコメンドまでしてて、おそらく東京でいうところのお茶の水ジャニス的な存在だったんですね。売り場自体はそんなビックリするほど広かったワケではなかったので、マニアックなアイテムのシェア率がそれなりに高かったってことだと思います。初めて行った時とかもう興奮しちゃって「やっぱ都会はすごい!」ってなって一度に大量に借りた覚えがあります。そんなお店を知ってからは学校の授業が終わって、オヤユビピアノでCD借りて、その足でチキンジョージ(っていうライヴハウス)にバイトに行くっていう生活でした。そんなこんなで自分の昭和は終わったのですが、こうやって振り返ってみるともしもレンタルがなかったらどうなってただろう?って考えただけでもゾっとします。本当にありがとうございました。
ってことで、長年に渡って(たぶん15年ぐらい?)書かせていただいたこのコラムも今回が最終回です。『セル店の現場から』とか言いながら、どこからだよ!な気まぐれな内容に辛抱強くお付き合いいただいたCDVJの若松さん、鈴木さん、喜多さん、そして読んでくださったみなさん、本当に長い間ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう!
【行 達也】
1968年大阪生まれ。長年勤続したタワーレコードを退職後
2004年東京下北沢にmona records(モナレコード)を開店。
CDショップにカフェ、ライブスペースを併設した小さな音楽総合施設を目指す。
http://www.mona-records.com
現在、某CDショップのレーベル部門にて勤務。
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